ある桑の木の話

そこには1本の桑の木があった。彼はずっとそこにいた。彼は多くの竹に取り囲まれていて、真っ暗な中でずっと一人でそこにいた。今は、彼の近くに、ネイチャートレイルの上がり口ができ、彼のすぐそばには第一堆肥ヤードができている。
私たちが彼とはじめて出会ったのは、2004年3月、その堆肥ヤードを作っていたときだ。竹を切り進めていくと、彼が出てきた。そのときは、葉っぱが一枚もなくて、弱々しくて、「もう死んでいるんじゃないか」と思ったほどだ。
一ヶ月後、同じ場所を訪ねると、見違える彼がいた。透きとおるような新緑の葉を全身に身にまとい、背丈も大きく伸びていた。植物に詳しくない私は、最初、彼だとはわからず、「誰かが新しい木を移植した」と思ったほどだ。
みんな彼が大好きだった。大切なカバンは彼の足下に置き、大切なポーチは彼に掛けた。彼の下で、なっちゃんはお父さんの膝の上に収まった。辻ぴょんは彼の実を美味しそうに口に含んだ。彼は木陰を作り、みんなに休憩場所を提供した。
そして彼はいなくなった。昨日、彼がいた場所を訪ねてみると、そこにはチェーンソーで切られた跡だけが残っていた。
土砂を搬入するための測量のため、その場所は草が刈られたのだが、そのときに雑木や竹もそして、彼も切られてしまったようだ。
強い彼のことだから、切り株からまた芽を出すだろう。
たった1本の木だけど、みんなそれぞれに物語を抱えている。