阿蘇の草原を守る実践活動!2日目【ながせ】

阿蘇で最初の朝を迎える。
阿蘇にしては蒸し暑い夜だった」らしいが、福岡の朝とは少し違う。
開け放した縁から入ってくる涼しい風が心地よい。自然と「朝」を感じる。


この日は一日掛けて牧野に出ての実習。
自分達が重い物を運び、少し嫌な思いもするからこそ分かってくる感覚が
実習の良さだ。これは座学では味わえない。
初心者は聞くより・見るより、作業の中でこそ得るものが多いと思う。


朝の作業は2班に分かれての防火帯作り。
事前に刈払い機で作った6メートル幅くらいの防火帯で、
大鎌(死神がもってるような、あれ)とフォークを使い草寄せする。


傾斜角40度を超す急傾斜地での草寄せ。
感覚では50度にも60度にも感じる。
ただでさえ下りるのも大変な傾斜地を、刈払い機でひたすら倒していったおじさん達に
頭が下がる。
道路からは見えないようなところも、草地を囲むように延々と防火帯(これを輪地という)が作られ、
その総延長は阿蘇=静岡間にも匹敵するのだそうだ。


午後は牧場に移って牧柵の補修作業。
一部のメンバーは刈払い機を持って草刈り。
東京や関西の人は刈払い機なんか触ったこともないらしく、ここは田舎っ子の先輩として
(13人の中では九大生は田舎っ子である)その任は譲った。
都会っ子はスターターを引くことさえ知らないらしい。
刈払い機や軽トラの荷台に乗って移動など、特段珍しくなくなっていた自分にちょっとびっくり。


牧柵は風雨にさらされ輪地焼きで火にさらされるため、数年で寿命がやってくる。
有刺鉄線をペンチで切り、鉄柱を抜く。カッパを着て黙々と作業する。
女性陣も自分から仕事を探し、協力し合いながら鉄線をまとめていく。
若者のぼやきにしか聞こえないかも知れないが、「最近の若者」は結構要領もいいし、しっかり働くのである。



さて、一日雨に濡れながらやった作業をまとめてみる。



高齢化の進む阿蘇(これはどこの田舎も切実な問題だ)で、輪地切りの手伝い。
上から下が見えないようなこの急傾斜地を、機械背負って何時間も草を刈った人は一体いくつなのだろうか。
これから更に高齢化が進む中で、ボランティアの役割は更に大きくなるだろう。
阿蘇では年間千人規模のボランティアがやってきて、レベルに応じた仕事をやってくれている)
ただ、ボランティアに頼るだけの仕組みは近い将来破綻する。
僕ら学生主体のNPO環境創造舎もそうだが、ボランティアを指導できる立場の人間を定常的に確保することは
実は容易ではない。
創造舎の学生はいつか卒業していくし、農家も高齢化が進むだけではいつかプロの手が足りなくなる。
後進、若い世代の確保・育成が大事になってくる。
地元に住み、地元に密着したプロの手はとても貴重だ。


これは3日目以降にディスカッションしたことでもあるが、阿蘇の人々が地元をとても愛していることはとても伝わってきた。
みんな何かしたいと環境省も地元の組合の皆さんもNPOも財団も、試行錯誤しながら阿蘇の未来を考えている。
不思議と悲壮感は伝わってこない。何かできると信じているし、最近流れも変わってきている。
実例も挙がってきている。光は見えていると感じた。

僕も地元が好きだ。壊れていく地元の景観を守れるなら、そんな仕事がしてみたい。
でも多くの若者は街へ街へと流れていく。熊本へ、福岡へ、名古屋へ、東京へ。


思いだけでは景観を守れない。誇りだけでは変われない。


バーベキューの火も落ち始めた頃、お酒で顔を真っ赤にしたおじさんが静かに麓の街並みを眺めて言った。