阿蘇の視察日記②【しゃちょう】

阿蘇市一の宮の商店街活性化の取り組み
阿蘇一の宮の中心部には阿蘇神社があって、当然、その門前町には商店街がある。以前は、毎日がお祭りのように、人でにぎわっていたのに、ここ10年間は全く人の行き来がなく、猫の1匹歩かないような商店街だったそうだ。

これは、阿蘇のどの商店でも同じようだ。以前が、大型バスが次々と止まり、そこから大勢の人があふれ出してくる。そうして町はにぎわっていた。
しかし時代は変わる。慰安旅行、大型バス、大宴会、浴衣、下駄、スナック、、、という時代が終わる。
各家庭が、各個人が、自分の車で自分の好きなところに行く時代である。阿蘇には、変わらず多くの人たちが訪れているのであるが、今までにぎわっていた町は廃れていく。変われない町は廃れていく。

町の人が阿蘇に移り住む。山の一角を格安で借り、パンを作り始め、売る。地元の人は首をかしげる。「パンだけで生活できるわけがない」。何かのきっかけで雑誌に載る。テレビに出る。毎日大勢の人であふれかえる。「なんで?」、地元の人にはまだ理解ができない。

そうして商店街はさびれていく。

商店街にも世代交代の波が訪れている。30代の若い世代が跡を継ぎ、実質的な経営を行うようになる。その一部から「昔のような毎日がお祭りのような町にしたい」という声が生まれる。括弧付きで、「人が来なければ、倒産するぞ」ということなのだろうが、危機意識を持て何かやろうとすることが大事だ。

若い衆は、風景を作ろうと、商店街に桜を植えた。統一感を作ろうと、真っ黒な看板に白の習字字で字を書く。商店街の一番の目玉は、「水基」である。商店街にはあちこちから水がわき出ており、それを生活用水につかっていた。その空間をきれいにととえる。

最後の目玉は食べ物。食べ物がなければ人はある集まらない。
テレビ局を呼ぶために3つの目玉をピックアップすることにした。一つは、地元でも有名だった、シュークリーム、もう一つは地域で昔から田植えの農繁期にオヤツとして食べられていたばかでかい田植えイナリ、最後が新たに商品開発した馬ロッケ。これをテレビに取り上げてもらい、特に馬ロッケが大ヒットした。
http://e-shinrin.net/site/page/area/aso/topics/asotushin/2004b/0827/
そうして少しずつ町に活気があふれだした。取り組みを初めて3年目。若い商店主たちは確かな手応えを感じ始めている。

実際にこの町を訪れると、有名になる前の湯布院と同じにおいがする。まだ人がそう多くはないが、地域への想いとエネルギーに満ちあふれているのだ。