学会のため別府に来ています【しゃちょう】

9月、10月は学会大会の時期である。
大学の授業がないのでこの時期をねらって大会を開催する学会が多い。当然、もう一つのピークは、やはり授業のない3月ということになる。

9/7からとある学会大会のため別府に来ている。
学会というのは、お勉強の場であるが、旧知の研究仲間と旧交を温めたり、地域の美味しいものに舌鼓をうったりと楽しみも多い。だから研究者はせっせと学会に出かけていくのである。
しかし、私はその学会の事務局を担当しているので、別府の美味や温泉を堪能するというわけにはいかなかった。

今回のこの学会大会参加者は100名弱であるから、そう大きな学会ではない。いつも環境創造舎で企画・運営するイベントに毛の生えた程度である。
しかし、それにしては事務量が膨大である。首をかしげたくなるような仕事も多い。
例えば、事務局は理事会の場に出す弁当を手配しなければならないのであるが、これがタイヘンである。理事の出席者数がなかなか把握できないので注文が難しいのである。弁当が届いた後に遅刻者がやってきたりして追加注文しなければならなくなる。それを2度も繰り返した。。。
学会賞の賞状を作成するために、書道の先生のお宅に何度か足を運ばなければならなかったりする。

弁当は各自用意してくるとか、お茶と簡単な軽食を用意して、理事会終了後に食事に行く(どうせ、毎回飲みに行くのだから)とかすればどんなに楽だろう、無駄がないだろうかと思う。
PCで賞状を印刷すればどんなに低コストで簡単にできるだろうかと思う。研究者にとっては、学会賞なんて賞状ではなく、実績自体が重要なのだから。

そんなこんなで簡略化したり、無駄を省いたりできる部分が多々あるように思える。
事務局の前任者や、(話しやすい)先生方に、話を聞いてみると、その当時の執行部が「よかれ」と思って、「それ」をやったり「それ」を作ったりする。それが前例となり翌年に引き継がれ、それが慣例となり、あたりまえとなる。
そうしてやるべきことは雪だるまのようにふくらんでいく。
しかし時代は変わる。当時は必要だったものが必要でなくなる。
からしっかりとチェックすれば、簡略化したり、無駄を省いたりできる部分が必ずある。

ところが、また、それを妨げる要素が多々ある。
学会の役員も事務局も任期がある。ちょっと我慢すれば波風を立てずにすむ。
経営体ではないから、合理化が追求されない。
意志を決定するのは理事会であり、年配者であり、実務を担うのは事務局であり、若手である。

そんなもんだから学会の事務局運営はタイヘンだ。
それが当たり前になっている人には、当たり前なのだけれど、私はついNPOの経営と比べてしまうのでいろんな無駄が目についてしまうのだ。
そして改めてNPOの経営にも注意を払い、より効率的で効果的な運営を心がけようと再認識する。